「風天小畜」症例1:40代女性

”ブタを背負っちゃダンスはできぬ”

 当院には初診のかた。口コミできてくれた。最近、口コミで来る人が多い。
「あそこは、変なことをやっているので、一遍行ってみたら」ということで、
”怪しい者”見たさで患者さんが来る。
大した事のない人もいれば、大した事のある人もいる。

 この方の主訴は、膝が痛い、肩が痛いということだった。
社交ダンスが趣味でもう10年以上やっている。
3月前から両膝と両肩がいたくなり、ダンスをすると痛みがひどい。
思うようにステップを踏めない。
整形外科に行ったが湿布と痛み止めがだされただけ。
整骨院に行っているがそれでも良くない。
肩こりも最近はひどくて、首も目もつかれる。夜も眠りが浅くなったという。
見る限り、体重があるわけでないので、膝に負担はなさそうだ。
ただ、からだの周りの「気」が重いのが気になった。

 横になってもらって、診察にかかる。
足は、冷えがある。乾燥も軽度ある。膝は変形がないので変形性膝関節症ではない。
腹は、胃腸は特に問題はなさそうだ。
肝臓のあたりに鬱滞がある。突っ張りでないので胸脇苦満でない。
奥の方に溜まった感じがある。これは肉を食べ過ぎる人に多い所見だ。
更に、高次のレベルを見てみると、やはりコーザル体で左の肩から背中に暗い影のようなものが乗っている。肩から重量があって重たい。
喉が締められるので苦しい。
これでは快適なダンスは無理だろうと思う。
これは何だろうか?
世間で言うところの「霊」ならたいていは払える。
また「他人の念」なら、輪郭がはっきりしている。
それでは何か?
肝臓の鬱滞と合わせて、肉の食べ過ぎではないかと思いついた。

 そこで起きてもらって、座ってもらってPTM易をする。問は「気が重たい原因は?」とした。(「膝が痛い原因は?」としてもいいが、そうすると「ダンスのし過ぎ」とか出るかもしれない。その場合は、整形外科やカイロが対応すべきで、ウチの範囲ではない。)
するとPTM易では、「風天小畜」、「雷山小過」が出た。
やっぱり、肉の食べすぎだ。
そこで患者さんに聞いてみた、「チキンとかブタを食べませんか?」と。
すると「肉がすきなのでたくさん食べます。特に最近は子供も育ち盛りだし、豚肉を沢山食べるようにしている」と、言うことだった。
「風天小畜」は成書では”小さく阻む、小さく蓄える”といういみで説明されているが、実際の臨床では「鳥肉や豚肉」として出ることが多い。「小畜」から直接的に「小さな家畜」という意味が派出する。これに「雷山小過」が組み合わされると「鳥肉や豚肉の食べすぎ」になる。
そこで患者さんには、「ちょと豚肉の食べ過ぎじゃないですか?」「肝臓の当たりも脂肪肝みたいに鬱滞しているし、へらした方がいいかもです。」と言った。
また「コレステロールとか高くないですか?」とも、聞いてみた。
すると、「高いんです、薬を飲んだほうがいいと言われています。」と。
「そうでしょうね、やっぱりへらしたほうがいいでしょうね。」
「冗談ですけど、ブーちゃんに恨まれたら、怖いですよ。身体がおもくなるし。重たいブタを背負ったら、ダンスは出来ないですよね」と言った。

患者さんは、なんだか、バカな説明にも納得されたようだった。実際に、肩の重たいエネルギーは軽くなっていた。

漢方は、外傷や瘀血による痛みに効く「桂枝茯苓丸加薏苡仁」をPTMで選び、終了とした。

コメント

●「風天小畜」は通常、小さく阻む、ブロックがあり進めない、止められる、停滞、少しの蓄え、貯蓄などの意味で解釈される。でも私の臨床では、上の例のように「鳥肉、豚肉の食べ過ぎ」のときに「雷山小過」と一緒に出ることがはるかに多い。クリニックで見ている対象がいわゆる「病気」なので、その様になるのだろう。「小畜」は「小さな家畜」だし、肉を食べすぎると肝臓に脂肪肝として「蓄えられる」ので、意味的には辻褄が合う。それでは「牛肉」はどうなるか?これには、ちゃんと「山天大畜」が用意されている。ここが易のまたすごい所だ。

●「風天小畜」の普通の解釈例をあげると、「部屋に細々したものが溜まっている」、「職員が着服して貯めている」、などが出たことがあった。

●私の臨床では、肉の食べ過ぎで悪くなっている人が実に多いのが気になっている。とくに、クリニカル易占をし始めて、そのあたりの問題点がよく分かるようになった。実際に、肉を食べるのをへらして、色々変わった症状が改善している例が多い。

●誤解を避けるため言うと、肉を食べるのが悪いのではない。多過ぎるのが良くない。易は中庸を重んじる。かつて、菜食ばかりで、自律神経の不調をきたした患者さんをみたことがある。「肉を食べろ」とアドバイスした。また、ウチにはモンゴル人の患者さんが全国からきてくれるが、彼らは肉をたくさん食べる。話によると「オーストラリアから羊を1頭1年分として買っている」という。それだけ肉を食べるのに、見る限りでは問題となっていない。このあたりは、民族の違いかなにかわからない。いずれにせよ、人によって多い少ないの程度があるということだろう。